筑前國續風土記拾遺には野方村の民居として「本村(中城戸 東西) 舘屋敷 平原 廣石 勧進 道隈など」と書かれています。また八幡宮については「本村の北にあり」となっていますので、野方天満神社(野方1丁目4)の南側に町が広がっていたようです。
元年実測図で見ると、野方天満宮の鳥居マークと本願寺(同じく1丁目4)の卍が並んでおり、確かにその南の東西筋沿いに町が見えます。付近を歩いてみますと、この筋に該当するのは現在の県道561号の一本南 旧道のようです。この筋を西にたどって行くと、「これより西の山間を経て、志摩郡の青木村に通う道を、廣石越という」と拾遺に書かれた「廣石越え」で、福岡市立西陵高校の住所が西区拾六町字広石となっており、現在の県道561号線がこれに該当するのでしょう。
余計なことですが、西陵高校に隣接する西部清掃工場は、拾六町1191と地番を持っていますが、西陵高校の住所は、西区拾六町字広石がすべてで、いわゆる無番地です。
野方の話に戻り、 元年実測図では平原は十郎川の西ですから、野方6丁目が該当しそうです。十郎川に架かる平原橋は、野方天満神社の際 野方1丁目4と6丁目31の間に。道隈(どうぐま)は西区野方2丁目に、道隈公園(2丁目11)や道隈集会所(公民館/2丁目13)などよく名を残しています。
同じく野方2丁目22に勧進原池が、勧進原公園は2丁目36にありますので、道隈の西に勧進があったのでしょう。
元年実測図には野方の町の南に、産神の天満宮よりも大きな鳥居マークが見えます。場所的に野方公園(野方1丁目9)の周りとあたりを付け歩いたところ、野方公園の南に祠が建っています。

拾遺には「八龍社 村南森」の記載があります。野方1丁目48と野方5丁目9の間で十郎川に架かる橋は、八龍橋となっています。祠から橋までは170mほどですので、この祠が八龍社で周辺が字八龍なのでしょう。八龍神は水神で、各地で雨ごい・雨止めに御利益があると言われていますが、この八龍社も拾遺には「旱魃(かんばつ)に雨請いするとかならず験ありという」と記されています。
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