筑前國續風土記拾遺の「今津村ならびに浦」欄には「民居は本村 大原 野見山 井樋堰に三軒」と記され、「又今津浦 濱崎浦あり」と記されています。今津は今見ても大きな町ですが、寺社の数を見ると繁栄のほどを伺い知ることができます。
025は勝福寺の山門に貼られていました。拾遺の勝福寺欄には「本村寺小路にあり。」とされていますが、勝福寺前の道に建てられた旗竿立て台に寺小路の字が刻まれています。

拾遺には法教寺(今津1798)と清教寺(今津2087−1)が「本村町口にあり」とされており、本村域の西限がこのあたりになるのでしょう。
今津自動車(今津4789)の西に、昭和7年に農業利水のために井戸を掘った際の記念碑が建てられており、

ここに「糸島郡今津村字呑山」の文字が見えます。今昔マップから 宮ノ浦 昭和13年測図 昭和15.6.30発行で見ますと、該当の場所に記念碑マークが見えます。上でリンクさせた大正15年図には見当たりませんので、この記念碑マークは昭和7年に建てられた、この「水功土碑」を指しているのでしょう。拾遺には野見山に辨財天社があり「野見山の産神なり」となっていますが、白山神社(今津4491)の由緒碑に「呑山の市杵嶌姫命を明治13年に合祀した」旨が記されています。(市杵島姫命は神仏習合に於いて弁財天と比定される。)
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