筑前國続風土記拾遺の奈多浦欄(柳園稿)では「民居は一所にあり」となっており、今昔マップから 古賀 昭和11年二修 昭和15.6.30発行で見ても奈多の地名しか見えないので、九電バッジも「奈多」で出てくるのではと想像していましたが、実際は多くの字に分かれて出て来ました。
このうち、前方・西方・牟田町(牟田方)は現在でもそれぞれ公民館を持っており、字として存在したことがわかります。高浜も独自の公民館(奈多2丁目10)を持っており、九電バッジの銘としてあってもよさそうです。高浜公園が東区三苫2丁目35にあり、高浜公民館と高浜公園の間が該当するのであろうと重点的に探してみましたが、今のところ見つけられていません。(高浜公園は三苫2丁目になりますが、三苫と奈多にまたがる両高浜だったのでしょうか。)
今昔マップから 古賀 大正15年測図 昭和4.8.30発行で見ると、県道59号 海の中道はまだなく、西戸崎へ至る道は奈多の町中を通っています。この旧道沿いの奈多2丁目及び奈多3丁目全体から前方銘で見つかります。前方公民館は東区奈多3丁目19に。
筑前國續風土記には「元禄16(1703)年に塩浜を開き、塩竈塩屋を立てたところ、それから人が集まり塩を焼いた」と書かれています。
ついでに書きますと、今昔マップから 古賀 大正15年測図 昭和4.8.30発行では博多湾鐵道の「なた駅」は、現在の奈多駅と雁ノ巣駅の間にあります。東区雁の巣2丁目11あたりでしょうか。現在の香椎線の線路はちょうどそのあたりで北にカーブして、県道59号 海の中道線と交差しますが、湾鐵線の線路は現在と比べてまっすぐに延びています。

湯浅踏切(雁の巣1丁目1の先)から雁ノ巣駅方面を見る(立ち止まらずに撮影)
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