春日


  地元春日市には、さすがに多くの墨跡が残っている。私の知る限り白水の一番古い墨跡は、地元春日神社の注連縄掛柱であるが、実は春日神社には佐官時代の奉納絵馬もある。ただしこれは、「書く立場」になって頼まれて書いたものではなく、自分の戦功を祈願して奉納したものなので、ここでは除外している。

  私が一番驚いたのは、地元春日では、小学校の旗竿立て台まで白水の墨跡だったことだ。

  素人の私がこんなことを言っては失礼かもしれないが、歳を経るごとに字が枯れていい趣にな っていくように感じる。

  尚、公書類・掛け軸や手紙等もこの春日の欄に掲載している。


陸軍中将従三位勲一等功二級白水淡
名刺(退役後)(ご子孫提供)
撮影時期不明ながら左胸(向かって右側)に見えるのは、勲一等旭日大綬章の副章もしくは勲二等旭日重光章のようだ(この2つは同じ形)。そうすると、中将時代の撮影かと思われる。右胸の内側(3つの勲章の真中)は金鵄勲章であろうか。 


春日神社 注連縄掛柱


銘文
右表
 皇威輝八紘
左表
 神徳洽四海
右裏
 伊勢参宮同行中
  陸軍少正五位勲三等功三級白水淡書
左裏
 社司 (名前)
  大正二癸丑歳九月建立
場 所
春日市春日 春日神社
備 考
私の知る限り最も古い墨蹟である。白水が将軍になり、「書く立場」になったとことは地元にとっても名誉なことであろうから、大葬の喪が明けるとすぐに書いてもらったのであろう。


長円寺 扁額
銘 文
 月 光 山     大正三年  二月吉辰  白水淡謹書
場 所
 春日市春日 月光山長円寺
備 考
長円寺は白水が子供の頃、石塔に書かれた文字を筆写し、和尚に読み方を教わったという、浄土真宗本願寺派のお寺。

 現在の長円寺


洸本
    
文 字
 
場 所
個人所有
備 考
戊午は1918(大正7)年。この頃は地元に近い下関要塞司令官をしていたので、頼まれて書いたものであろう。


住吉神社注連縄掛柱


 
銘文
右表
 排雲霧見日月
左表
 洗私心接神明
右裏
 大正七年五月吉晨
左裏
 陸軍中従四位勲二等功三級白水淡書
場 所
春日市小倉 住吉神社 
備 考


乃木大将遺品收蔵之地碑
 
現在は春日神社境内に乃木大将遺品収蔵之地碑と寂光城碑が並ぶ
銘文
表銘
 乃木大将遺品蔵之地
          陸軍中將從四位勲二等功三級白水淡書
裏銘
 建設者
  軍人会春日村分会
  ○○長森山○○
  大正八年五月 
場 所
この碑は鶴我山(現春日野中学校そば/白水の生家の川向)に建てられて、周り
には桜の樹も植えられて公園化されたのだが、戦後米軍に接収されることになり
(現在も自衛隊基地がある)、春日神社境内に運ばれている。

 
鶴我山にありし頃の碑。右の写真が実際に乃木の軍服を埋めた塚ではないかと思われる。このあたりは史料がなくてよくわからないのだが、ある史料に「将軍塚」という記載が見えるので、元々は塚と碑は隣り合って別々にあったと思われる。

 現在、碑の周りにある柵がこの塚の柵であろう。(写真は白水のご子孫提供)
備 考
大正8年5月、白水のシベリア出征寸前(11/1第十四師団長就任)の建立である。乃木の殉死と軍服のところでも書いたが、実際に遺品の軍服が贈られるの翌大正9年である。

 乃木は遺言状に、自分の遺品を副官を勤めた人に贈るよう明記しており、その容は当時の新聞にも掲載された。この大正8年の時点で何を贈られるかは別にして、白水に遺品が贈られるのは内定していたのであろう。

 そして自分のシベリア出征が決まった時(この年4月にシベリア含みで第十二師団留守師団長を拝命)、軍人である以上当然戦死もあると考え、その時に乃木の遺品が宙に浮くことやぞんざいに扱われることを恐れ、慌てて揮毫し、建立を在郷軍人会に頼んだのではないかと想像している。


上奏 (写) 第十四師團長白水淡


 
表紙                           P1
  臣淡
 大正八年十一月
 大命ヲ拝シ当時沿海黒龍ノ二州並樺太州ノ一部
 ニ亘リ警備ノ任ニアリシ第十四師団ヲ統率シテ
 前任務ヲ継承セリ
 是レヨリ先キ師団ノ西伯利ニ派遣セラルルヤ過激
 派ニ属スル武装団体ハ所在跳梁ヲ逞ウシ尓来極
 東露領ニ於ケル政情ノ変遷ニ伴ヒ形勢益ニ悪 (以下395ページ)
大正8年11月の上奏の写しである。全397ページにも及ぶもので、実は私もまだ全部は読ん
でいない。尼港事件が起こるのは翌年早々であるので、この上奏に於いてはまだそのことには
触れられていない。
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C07061171000

陸軍省大日記 西密受・西受大日記 大正10年2月(防衛省防衛研究所)(1枚目〜2枚目)


地録神社 注連縄掛柱


銘文
右表
 一誠耿耿貫天日
左表
 威洋洋満八州
右裏
 陸軍中白水淡書
左裏
 大正十一年十二月建之氏子中
場 所
春日市須玖 地録神社
備 考


白水八幡宮 注連縄掛柱


銘文
右表
 神風萬里掃妖霧
左表
 威徳千秋照故山
右裏
 陸軍中従三位勲一等功二級白水淡書
  社掌 (個人名) 石工 (個人名)
左裏
 大正十二年四月寄進者 住吉町 (個人名)
                  千代町 (個人名)
場 所
 春日市上白水 白水八幡宮
備 考


寂光城碑
銘文
表銘
 寂光城
裏銘
 大正癸亥還暦之秋
     陸軍中白水淡建立
場 所
最初地元「社(やしろ)の墓」(墓地)に建てられたが、墓地の改葬により春日神社に移された。現在は春日市春日の春日神社境内、「乃木大将遺品収蔵の地碑」の横に建つ。(※現在は向かいの長円寺境内に移されています。)

 春日神社
備 考
大正癸亥は1923(大正12)年


書2幅
右の書には昭和戊辰(昭和3年)元旦の文字が見える。尚、書の前に写っているのは、白水の刀架だったもので、上段には指揮刀が、下段には短刀が掛かっていたそうである。
場 所
 
備 考
白水のご子孫所有。


春日小学校旗立台
 
銘文
表銘
 奉祝御大典記念
左銘
 陸軍中白水淡書
裏銘
 昭和三年十一月
     春日村青年団
場 所
 春日市 春日小学校校庭
備 考


手紙
白水のご子孫が所有する昭和4年7月1日の消印が入った手紙。宛先は東京に住む親戚。
場 所
備 考
1銭5厘の切手が2枚貼ってある。


老松神社(中宮)注連縄掛柱


銘文
右表
 慈雨○千里   (○=「サンズイに邑」うるう)
左表
 仁風入一郷
右裏
 昭和五年六月十五日
          寄進者 (2名の名前)
左裏
 陸軍中従三位勲一等功二級 白水淡書
  石工上水キ (個人名)
場 所
春日市須玖 老松神社
備 考


トップへ
トップへ
戻る
戻る