乃木大将遺品收蔵之地碑
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現在は春日神社境内に乃木大将遺品収蔵之地碑と寂光城碑が並ぶ
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銘文
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表銘
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乃木大将遺品收蔵之地
陸軍中將從四位勲二等功三級白水淡書 |
裏銘
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建設者
軍人会春日村分会
○○長森山○○
大正八年五月 |
場 所
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この碑は鶴我山(現春日野中学校そば/白水の生家の川向)に建てられて、周り
には桜の樹も植えられて公園化されたのだが、戦後米軍に接収されることになり
(現在も自衛隊基地がある)、春日神社境内に運ばれている。
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鶴我山にありし頃の碑。右の写真が実際に乃木の軍服を埋めた塚ではないかと思われる。このあたりは史料がなくてよくわからないのだが、ある史料に「将軍塚」という記載が見えるので、元々は塚と碑は隣り合って別々にあったと思われる。
現在、碑の周りにある柵がこの塚の柵であろう。(写真は白水のご子孫提供) |
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備 考
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大正8年5月、白水のシベリア出征寸前(11/1第十四師団長就任)の建立である。乃木の殉死と軍服のところでも書いたが、実際に遺品の軍服が贈られるの翌大正9年である。
乃木は遺言状に、自分の遺品を副官を勤めた人に贈るよう明記しており、その容は当時の新聞にも掲載された。この大正8年の時点で何を贈られるかは別にして、白水に遺品が贈られるのは内定していたのであろう。
そして自分のシベリア出征が決まった時(この年4月にシベリア含みで第十二師団留守師団長を拝命)、軍人である以上当然戦死もあると考え、その時に乃木の遺品が宙に浮くことやぞんざいに扱われることを恐れ、慌てて揮毫し、建立を在郷軍人会に頼んだのではないかと想像している。 |