白水淡(しろうずあわし /あわじ・たんとも)という人物をご存知だろうか?
明治・大正の日本に起きた、数度の大きな戦争を戦った陸軍軍人である。実は白水淡は司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する。あまり名誉な登場の仕方ではなく、まだ師団付の中佐参謀であったため実名は書かれていないのだが。
まず、はじめに司馬遼太郎の「坂の上の雲」から白水淡が登場する場面を、少し長くなるがお借りしてみたい。
『児玉《源太郎陸軍大将・満州軍参謀総長》はこの前夜、随行の田中国重少佐<満州軍参謀>に命じ、
「第七師団の参謀に、攻撃正面の地図を書かせておけ」といっておいた。
すでにその地図ができている。
児玉は天眼鏡を出し、その地図に見入った。一枚の紙に、無数の軍隊符号が書き込まれており、それがいかにも雑然としているのは、戦況の惨烈さのために諸隊がたがいに入り混じっているせいであろう。児玉は、その符号一つ一つに意味を見出しながら凝視していたが、やがておなじ中隊が左翼にも右翼にもいることを発見した。
(これはどういうわけだ)
と考えたが、意味がわからない。やがて、師団参謀の書きまちがえであることがわかった。書きまちがえというより、その参謀が、現地を知っていない証拠であった。
《中略》
(この連中が人を殺してきたのだ)
とおもうと、次の行動が、常軌を逸した。かれは地図のむこうにいる少佐参謀におどりかかるなり、その金色燦然たる参謀懸章をつかむや、力まかせにひきちぎった。
「貴官の目はどこについている」
とどなった。次の言葉が、長くつたえられた。
「国家は貴官を大学校に学ばせた。貴官の栄達のために学ばせたのではない」
少佐参謀は顔面蒼白になって突っ立っている。
《中略》
「しかし、報告ではそうなっております」
と、参謀懸章をひきちぎられた屈辱もあって、ややふてぶてしく言った。
「自分で、見なんだのか」
と、児玉は、他の参謀たちにもきかせるように、大声をあげた。』
司馬 遼太郎著 坂の上の雲 文庫版第5巻P106〜P107より抜粋
この参謀懸章を引きちぎられた「第七師団少佐参謀」こそが41歳の白水淡らしいのだ。散々である。しかし、「坂の上の雲」では「少佐参謀」となっているが、実際の白水はこの時、中佐である。本当にこの人が白水淡なのだろうか?
そして、この前日の項にも登場するらしい。
『《児玉は》「第一線の状況に暗い参謀は、物の用に立たない」
と、切るようにいった。さらに、
「大庭《二郎第三軍参謀副長》」
と、乃木軍《第三軍》の中佐参謀の名をよんだ。大庭は椅子を蹴って立った。
「いまからニ、三の参謀を連れて前線にゆけ。前線の実情をよくつかんで来い。あす、わしもゆく。そのとき報告をきく」
と言ってすぐ、
「なにをぐずぐずしている。すぐゆけ」
と、いった。
かれらは部屋を出て行った。やがて軍装をととのえ、ふたたび入ってきた。三人であった。先任の大庭中佐が挙手の礼をし、
「大庭以下三名、ただいまより前線視察に参ります」
と、申告した。乃木《希典陸軍大将・第三軍司令官》は立ちあがり、かれらのそばにゆき、一人一人に握手した。生命の危険率は、きわめて高い。乃木はそれについて、
「十分に注意するように」
と、やさしく言った。』
坂の上の雲 文庫版第5巻P100〜P101より抜粋
この時に大庭と一緒に前線視察に行ったのも白水であるといわれている。
「坂の上の雲」を読んでいる限り、白水はとても有能な参謀とは思えない扱いである。 事実そうなのだろうか?
白水淡という、後にシベリア出兵で苦労し、悲劇の中将と言われた軍人の実像を調べてみたいと思う。しかしそれは、やがて日本を太平洋戦争に引きずり込んでいく大日本帝国陸軍という黒く大きな存在と、明治維新でようやく近代化の第一歩を踏み出した日本という国が、精一杯虚勢を張って欧米の列強に追いつこうとする姿とだぶっていく、私の処理能力を超えるものとなっていくかもしれない。
白水淡中将
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下関要塞司令官就任記事より |
出典:東京朝日新聞
(大正6年8月4日)
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